品種改良に思うこと

久しぶりの投稿。

ほぼ四十年ぶりに大学院時代の友人に会った。

農学部の修士課程時代、共に学び遊び、考えた友人である。真っ白いヒゲを蓄えた立派なおじさんになっていた。

お昼ご飯を食べながら、話題はそれぞれの仕事の話に。

畜産学が専門の彼に私は矢継ぎ早の質問。

 

ねえ、有精卵って本当に栄養があるの?

餌で親鳥の体質は変わっても卵の栄養価と相関する?

そもそも受精卵と未受精卵で栄養価が違う?

四十年ぶりの質問の山におじさんは苦笑。

 

同時に一気に大学院時代からの疑問がそのまま吹き出した。

そもそも品種改良はなぜ必要だったのか。

学生時代、白菜とキャベツの掛け合わせを研究していた先生に

その質問をした私。

返ってきた答えは、

つまらない質問はするな!のひとこと。

部屋に呼ばれてこっぴどく叱られた。

その時から、品種改良に対する疑問が残ったままなのだ。

 

そんなに新しい品種が必要なのか。

消費社会に求められているからか。

農家のためなのか。

まさか、消費者のためなのか。

原種はどこへいった?

アップルパイにする、焼き林檎にしたい、

あの酸っぱい紅玉はもう簡単には手にはいらない。

硬い国光もインドりんごも探せない。

昔のイチゴはどこにいった?

一粒500円の白いイチゴは誰がほしかったのだろうか。

肉についても同じことが言えるらしい。

遺伝子組み換えにこれほど神経質なのに

品種の改良には拍車ばかりかけてはいまいか。

庶民には手がとどかない1房3000円のブドウが並ぶ果物売り場では

いつもため息。

写真はニューヨークのスーパー。

どの果物も硬くて酸っぱい。だがそれなりに美味しい。

 

四十年ぶりの再会は、眠ったふりをしていた私にまた火をつけた。

早速、有精卵はじめ、卵の栄養価についての調査を

白いヒゲのおじさんに頼んだ。

おじさんからの報告をまたここで報告したい。